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お知らせ

ようこそ、「持福寺(じふくじ)」へ。

持福寺

当院は、四国徳島県「清流吉野川」中流域の吉野川市鴨島町飯尾にあります。

私は当院住職の麻植尊正(おえ そんしょう)でございます。

この度はホームページへお越し頂き、ありがとうございます。
当院ホームページを通じて皆様方のお役に立てれば幸いに存じます。
当院の境内には、季節の花が咲き乱れ、とくに牡丹は美しく見応えがあります。
また、お時間のある時に一度「持福寺」へお越し下さい。

楽しいひと時をお作りできるよう心よりお待ち申し上げております。

宝憧山成就院持福寺
住職 麻植 尊正

持福寺の由来

持福寺

寺の縁起によれば、名西郡神山町上河内に弘仁年間、弘法大師の御手により阿弥陀如来を本尊とする、山岳寺院として建立されました。
延徳三年、寺院は火災のために焼失し、当地徳島県吉野川市鴨島町飯尾に移住し、慶長年間、中興開山晴雲上人を経て、再興いたしました。この地移転後は、地域の皆様の幸運を願いつつ、繁栄をもたらしました。中でも、持福寺は学問教育に於いて藩政末期、徳島県立川島高校の前身の基礎である、私塾「寺子屋」が設けられました。
幕府の儒官、古賀精里の門弟で、儒学者の林居陵先生を当院に招き、四書、五経などの講義を始めた所、二百人近い塾生が県内各地から集まりました。林居陵先生の殆後は、旧藩士の滝辰三郎先生が継ぎ、寺子屋が郷学校になり、四、五人の教師が来て西洋風に数学、歴史、漢字などを教え、宗教はもとより文化・教育の拠点として栄えました。 昭和六十四年には本堂を立て直し、納骨堂を新たに建立し、千数百年におよぶ歴史の中に伝統を守りつつ新しい息吹を取り入れて、現在に至っております。



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